スローライフ

ちょっとだけゆっくり過ごしてみたい

時代の流れとともに、さまざまな分野でさまざまなことが進歩し、とても便利な世の中になりました。私が生まれた昭和の中期と比べたら大違いです。科学技術の進歩はまさに日進月歩で、あれよあれよという間に世の中が変わっていきます。

インターネットなどはその最たるものでしょうし、交通機関や道路網の発達、電化製品の進歩など、数えあげればきりがありません。ネットショップは私もよく利用しますが、ほんとうに便利ですね。どんなに長時間であろうとじっくり品物を選ぶことができ、昼も夜も曜日も問わず、悪天候のときに出かける必要もありません。

しかし、便利なことは素晴らしいと喜んでいる一方で、「なんだかせわしい」「叙情や情緒が失われていく」「無機的だ」などと思うようになりました。そして、「もう少しゆったりした暮らし方をしたい」と思うようになったのです。
なぜかというと、ほとんどの物体に表と裏があるように、物事にもたいていの場合メリットとデメリットがあって、便利さの裏側のデメリットが、小さなささくれのように気になったからです。

ケータイやスマホは便利ですが、その反面、拘束感や緊張感がついてまわることもあります。携帯電話が普及しはじめた頃、「いつどこにいても電話がかかってくるから気が安まることがない」などとぼやいていた人たちがいたものです。

さて、私は2010年の初夏から初秋にかけ、耕作放棄地を復活させる作業を行いました。10年以上も使われず、葦や野茨が生い茂る原野に変わり果てた、5アールばかりの水田です。私一人の人力では真夏の草木のパワーに歯が立たず、知人の重機に頼らざるを得ませんでした。

2011年にはどうにか水田の体をなし、コシヒカリを収穫することができました。ただし、作業に関しては、耕耘をはじめ、苗の手配から田植え、稲刈り、脱穀にいたるまで、専業農家の友人の力にすがりました。なにしろ私は軽トラックももっていないのです。

長い間縛られていた稲は、紐をほどかれてもそのままの姿勢だった。

長い間縛られていた稲は、紐をほどかれてもそのままの姿勢だった。

この年は稲がすべて倒れました。長い間耕作しなかった水田の場合、初めて栽培すると稲が過剰に生育するのです。その結果、自重に耐えられず、倒れてしまうのです。
倒れるのを防ぐため、事前に格子状に縄を張りましたが徒労に終わりました。倒れた稲は起こして数株ずつ縛り、稲刈りのときにはその縄をはずすという作業をしなければなりませんでした。

スローライフを簡単に言えば「ゆっくりした暮らし方、ゆったりした過ごし方」というような意味だそうです。詳しくはWikipediaなどをごらんください(インターネットってほんとに便利ですよね)。

便利な社会に身を置きながらも、少しだけ脇へそれてみたいと思っています。移動手段はなるべく自転車か徒歩、土や自然に触れる、インスタント食品とはなるべく距離を置いてみる、これからは年賀状の宛名は自分で書く、など。
とりあえず、できることからゆっくりやってみるつもりです。

 

スローライフ用

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