達磨の目の書き入れ、左右どっちの目が先?

縁起達磨に願い事をしながら目を書き入れるとき、左右どちらの目に墨を入れたらいいでしょうか。

願掛け達磨にどんなお願いをしましょうか。

 正月は、おめでとうという言葉が最も多く飛び交う月です。三が日だけでも、何回見たり聞いたり、あるいは口にしたりしたかわからないこの言葉は、愛でるの連用形「愛で」と、「甚(はなはだ)し」という2つの言葉がもとになっています。

「愛で」は褒め讃える、「甚し」は甚だしいという意味です。つまり、もとは「絶賛に値する」という意味で、あとはお察しの通り、「愛で甚し」が短く詰まり、「めでたし」となったというわけです。

 さて、めでたい縁起物の一つに達磨があります。なかでも群馬県高崎市の、少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)の縁起達磨は有名で、全国でも高いシェアを誇っています。

 少林山達磨寺第九代目住職の東嶽(とうがく)和尚が、天明の飢饉の際、困窮した農民の救済策として行なった達磨づくりがきっかけとなり、のちに達磨市が始まるなど、次第に上州(群馬県)の産業として発達していったと言われています。

 縁起達磨は願掛け達磨です。商売繁盛や事業成功、選挙当選ほか、達磨はさまざまな願い事を引き受けます。

 お願いをするときにはまず片方の目を書き入れることになりますが、左右どっちの目でしょうか。それは、達磨自身の左目、つまり、目を書き入れる人から見れば向かって右です。
 願い事の成就を望みながら、目の中心から墨を入れはじめ、徐々に大きく塗ってゆきます。

 そして、願い事が叶ったとき、あるいは一年間無事に過ごせたときなどに、感謝やお礼の気持ちを込めながら、もう一方の目を書き入れます。

 かつて、養蚕が盛んだった関東地方では、蚕の順調な上簇(じょうぞく)を願い、その縁起を目無し達磨に求めていました。

 上簇とは、蚕(かいこ)が成熟して繭を作るための簇という用具に、蚕が入ること、あるいは蚕を入れることをいいます。

達磨のモデルは禅宗の始祖

 達磨の起こりは室町時代で、もとになったのは、上方地方で作られた『起きあがり小法師』でした。それが16世紀前半の享保年間に江戸へ伝わり、張り子の起きあがり達磨が誕生したと考えられています。

 これがブームとなり、二匹目の泥鰌(どじょう)を狙ったのかどうか、七福神の起きあがり玩具なども登場しましたが、達磨の人気には勝てず、達磨の独擅場となりました。

 さらには、「起きあがり」という言葉が張り子達磨の代名詞となるまでに定着し、以後、座禅姿の達磨大師のごとく、まさに「不動」の地位を築いたというわけです。

 七転八起の根性は「起きあがり達磨」の真骨頂ともいえますが、負けずくじけずの精神には大いに学ぶべきでしょう。

 商売繁盛、招福開運の縁起を担ぎ、高崎市を皮切りに各地で開かれる達磨市は、福を求める大勢の人たちで賑わいます。

 ところで、達磨のモデル、達磨大師は、南インドのバラモンに生まれ、お経を訳す般若多羅という僧に学んだ後、中国に渡って禅宗の始祖となった高僧です。

 面壁九年といわれる禅を組んだのは崇山(すうざん)の少林寺です。面壁九年は「忍耐強く、一つの事を成し遂げる」という意味の故事です。

 三日坊主の私は福達磨にすがりたい思いですが、その思いそのものも三日坊主で終わるに違いありません。