
「目に青葉」か「目には青葉」か
青葉が繁るころ、南の海から黒潮に乗ってカツオが回遊してきます。
カツオは日本の太平洋側の近海や世界各地の暖かい海を生息域とし、5月から6月にかけて三陸沖まで回遊してきます。これが初ガツオです。
そして、親潮の勢いが増す秋になると南下してゆきますが、これを戻りガツオと呼んでいます。
カツオの肉には良質な蛋白質やビタミン、鉄分、抗酸化作用を持つセレンなどのほか、血管の健康維持や増進に有効とされるEPAやDHAも多く含まれています。
もともと魚肉にはヘルシーなイメージがありますが、カツオは栄養的にも優れています。刺し身やたたき、すし、角煮など、食べ方もバリエーション豊かです。おおいに活用すべきでしょう。
「目には青葉、山郭公(やまほととぎす)初松魚(はつがつお)」(ホトトギスの漢字には「時鳥」「杜鵑」「不如帰」などがありますが、素堂は「郭公」を使っています)という、山口素堂の句は有名ですが、これは、江戸っ子が初物好きだったところからきたもので、この時期のものが特においしいということではないようです。
ところで、この素堂の句を、「目に青葉」という人がいますが、「目には青葉」が本当です。本来の「目には青葉」では字余りで、「目に青葉」のほうが語呂がいいために、間違った句が一人歩きをしてしまったのでしょう。
作者の素堂にしてみれば、「は」の一文字が抜けてしまったのでは話にならないと思いますが、こちらでは「は」がなくて「は無(な)し」のタネになったというわけです。
カツオは鎌倉時代のころから高級魚として認識されるようになりましたが、それ以前は下級の魚とされ、主として鰹節の材料などとして使われていたようです。
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江戸っ子は初ガツオに多大な出費
味の好みには個人差があるうえ、地域や季節によっても食材の味は異なります。
カツオが九州や四国周辺を回遊しているころには、脂の乗りはもう一歩というところ。でも、その地域の人たちはそのような味を好むと言われます。
そして、その後北上して関東近海へたどり着くころには脂が十分乗ってきて、関東以北の人たちはそれを好むとも言われますが、さて、真相はいかに。
味はさておき、江戸っ子は初ガツオを手に入れるためにかなりの出費をしたようです。
嘉永6(1853)年、喜田川森貞の随筆「森貞満稿」に、「初めて来るカツオが一尾二両も三両もするのに、みんなが争ってこれを買う」というような趣旨の言葉が記されているそうです。
当時の二両三両が、現代の物価に換算していくらくらいかわかりませんが、驚くほど高価だったことは確かなようです。

冷凍技術がなく、小田原や鎌倉で釣られたカツオが、その日のうちに早飛脚で江戸へ運ばれた当時の初ガツオは、それほどまでに人気と存在感があったようです。
そう考えてみますと、現在の初ガツオはいささか影が薄く、少々気の毒なような気もします。特に冷凍もののカツオなどは言葉通りの冷たい待遇。気の毒などという表現はとっくのとおに通り越している感さえあります。
ところで、日本での漁獲量は静岡県や宮城県が上位を占めています。
旬の味が消えつつある昨今ですが、江戸時代の初ガツオにでも、想いをめぐらせながら食してみてはいかがでしょうか。